作家のアトリエ  作家さんの工房を訪ねて ■ 高 橋 春 夫   

楽陶にご協力いただいている作家の方々の工房訪問

陶芸家               
高橋春夫さんを訪ねる

高橋春夫さんの自宅と工房がある茨城県美野里町三箇は、常磐自動車道の千代田石岡インターを降りて、国道6号線を走ること15分あまりのところにあります。

緑の木立に囲まれて家々が点在するこのあたりは、静かで、どこかのんびりとした風景です。入口はさすが石材の本場・笠間が近いこともあるのでしょうか、立派な石柱の門構えで、自宅の前庭に白砂を敷きつめるなど、一層、静かな佇まいを醸し出しています。

自宅に隣接した工房をお訪ねしたとき、ちょうどお客様で、東京で新しいタイプの「やきとりレストラン」を始められるという若いカップルの方が、お店で使う酒器や食器を色々注文されていました。高橋さんのお話では、都内や近郊の料亭には特注で納められるのが多いそうです。

そういえば、ちょっと前にレシピ集「粗食のすすめ」という本(幕内秀夫著・南雲保夫写真・東洋経済新聞社刊)がシリーズでどの本屋さんにも置いてありましたが、ここでも高橋さんの器が数多く使われていたのを思い出しました。

高橋さんは、陶歴でお分かりのように、鹿児島は黒薩摩で有名な清泉長太郎窯のご出身です。ご本人のお話では、勉強があまり好きでなく、高校へ行くのが嫌で、何か「手に職を」と考えていた矢先に、両親のツテを頼って、長太郎窯に弟子入りされたそうです。「絵を描くことは好きだったけれど、別にやきものが好きってわけじゃなかった。ただ瀬戸にやきものをやっている父親の知人がいて、工房で土ものを見たとき、これならやってみようと思いました。」

長太郎窯は、伝統ある黒もん(白砂が混じった鉄砂釉を基本とした黒薩摩)で、明治31年に、絵師の有山長太郎が開いた窯で、高橋さんは、その2代目有山長太郎氏のもとで10年に亘り修業をされました。

その間、21歳の若さで日展入選や、日本新工芸展に3年連続で入選を果たすなど、メキメキと実力を発揮。その後、メキシコに遊学し、織物ややきものの原点といわれる民芸の色づかいや、物を作るときの精神などを学んだあと、生まれ故郷の茨城県下に築窯、「常陸春秋窯」として独立されました。

この前、出品された日本陶芸展(第16回)でも、「粉引き組皿」で入選されましたが、高橋さんは、ご出身が「黒薩摩」なのに、いまは圧倒的に「白い」粉引きが多いのが不思議でしたので、この点を伺ってみました。すると「いま使っている土は、黒薩摩と同じ赤土がベースなのですが、10年も「黒」ばかり作っていたので、その反動かも知れません(笑)。それと粉引きの難しさ、面白さではないでしょうか。」という答えが返ってきました。

粉引きは、もともと土の悪さを隠すために化粧土を掛けて素焼きをしますが、生掛けしたときに崩れたりするので難しいといわれています。でも「粉引きで作った器は、料理映えして、使っているうちに変化するから、とっても味がある」とのこと。ただ、ここまでくるには、きっと釉薬も、土の選択も、何度も試行錯誤されて完成されたことでしょう。

写真をとるので、作陶のポーズをお願いしたところ、さすがロクロを引く技は手馴れたもので、目の前の土くれが、あっという間に器に変わっていきました。

明るい工房は、たえず音楽(クラシックが多いのは、バレーを教えていらっしゃる奥様の影響でしょうか)が流れ、とても素敵な作業場です。それに、車が好きで、時々、遠くまで趣味の骨董集めに出かけるとか。そういえば工房のあちこちに年代物のタンスやテーブルがさりげなく配置されていました。

 

やきものクラブ・楽陶