やきもののふる里
 訪ねてみたいやきものの街   ■ 笠間  

シリーズ 第2回

   笠間(茨城)  こじんまりとして懐かしい

                   焼き物と、芸術と、公園と

笠間は鎌倉時代にさかのぼる城下町。四方を八溝山系の美しい山々に囲まれています。一歩足を踏み入れると、四季を問わず歴史や芸術の息吹を感じられるところです。笠間氏が築いたとされる山城は、こんもりとした姿の佐白山にその城跡を残しています。

日本3大稲荷の一つ、笠間稲荷の門前町でもあり、昔ながらの風情を残す町屋造りの家も、ぽつりぽつりと並び、「小京都」と呼ばれる程の山紫水明の地に、日動美術館、作家ものの器が楽しいカフェやフランス料理店などが点在しています。

茶国道355線は、やきものの店がずらりと軒を並べる、通称「やきもの通り」。各店ごとに、多用で、創意と個性に溢れたユニークなものがいっぱいです。民芸もあればクラフトあり、前衛あり、大作家の芸術品もあります。笠間焼の9割までもが、その伝統手法にこだわらない作家というのも、やきもの好きには応えられません。

江戸時代から甕(かめ)、すり鉢の産地として知られていた笠間は、益子焼とよく比較されますが、ここ笠間が益子のルーツにあたります。笠間の土は、粒子が細かく、ねばりがあって、焼き上がりの収縮率が高いといわれています。出来上がったものは硬く、日常雑器として理想的な丈夫さが、笠間の評判を支えてきました。

しかし終戦後、人々の生活様式が変わり、プラスチック製品などが出回るにつれて笠間焼の需要は減り、企業は今までに経験したことのない危機に直面しました。


最近の笠間焼


C/S


花瓶


時計

   
茨城県窯業指導所はそんな中でこの地に設けられ、試行錯誤をくりかえしつつ笠間焼の方向を模索していましたが、年度の性質等が明らかになるにつれ、これを改良し、現在の工芸陶器の製造に漕ぎつけました。

現在の工芸品としての笠間焼は、昭和30年代、山の向うの益子で始まった民芸運動の影響を受けています。笠間の土は大量生産できないということもありますが、それは反面、手作りに向いているということでもあり、現在の笠間焼の土壌になったと云われています。

笠間は伝統的産地特有の重苦しさがなく、外の者を快く受け入れる自由な風土があり、伝統的な産地で修業した陶工など、自由な創作をしたい若手作家が集まって来ます。古くからの窯元と、外部から移ってきた若手作家との親睦、そして焼き物の愛好家との交流を目的に「陶火祭(ひまつり)」が毎年5月初旬に、「匠のまつり」が11月初旬に、小高い丘の上にある「陶芸の森公園」で開催されています。作家が思い思いの露店(料理も振舞う)を並べ、これは「売る」というより、皆で「祭りを楽しむ」という陶器市です。
笠間は昔から多くの芸術家(日本画の木村武山やイコン画の山下りん等)を輩出した土地柄で、この芸術の町にふさわしい美術館が「笠間日動美術館」です。佐白山の風景に調和した景観もさることながら、コレクションの内容は愛好家の域に留まりません。



芸術の街・笠間の新しい息吹きは、日動美術館の創始者・長谷川仁氏が若い芸術家を受け入れた「芸術の村」から聞こえてきます。陶芸家をはじめ、画家・彫刻家などといった芸術家のアトリエが無数に点在します。この芸術家のシンボルといっていいのが、北大路魯山人のアトリエを鎌倉から移築した「春風万里荘」でしょう。ここでは、魯山人の陶芸作品とともに、書、篆刻、絵画、料理と多方面に才能を発揮した「もう一人の魯山人」に会うことができます。
芸術の森公園には東日本初めての陶芸専門の県立美術館としての「茨城県陶芸美術館」があり、板谷波山や松井康成ら現代陶芸の最高峰が鑑賞できます。また、同じ公園内にある「笠間工芸の丘」では、ろくろや手ひねりで本格的な作品をつくる体験工房があり、グループでの作陶活動が可能です。



街を散策すると日用雑貨から前衛アートに至るまで、幅広いジャンルの焼き物を陳列するお店が目にとまります。また街角には、地場産の「御影石」を素材にしたオブジェや彫刻があり、笠間は、こじんまりとして、どこか懐かしい焼き物と芸術の街です。

 

やきものクラブ・楽陶