やきもののふる里  訪ねてみたいやきものの街   会津本郷  

シリーズ 第4回

   会津本郷(福島) 歴史の風情が今なお残る
                  東北最古のやきものの里

会津若松の市街から車でわずか10分あまり、会津本郷は、陶器と磁器が同時に焼かれる全国で数少ないやきものの産地である。歴史の古い町らしく、いきなり「せとまち通り」というメインストリートが駅から続いている。毎年8月の第1日曜には「せと市」がも催され、この「せとまち通り」が会場となる。始まりは午前4時、夜明け前から多くの人出で賑わう。

窯元は全部で17軒、最盛期には、この静かな山里に60軒近い窯元があったそうだが、大正5年に大火に見舞われ数が激減し、やきものの主流も陶器から磁器へと移行していく。今では17軒の窯元が点在している。その中で宗像窯は、民藝運動の推進者・柳宗悦が褒め称えた「鰊鉢(にしんばち)」を焼いた窯で、今も尚、焼き続けている。

会津では当時、貴重な海産物であった「にしん」を山椒漬けにして食べていた。「にしん鉢」は、そのための、いわゆる保存食用の鉢で、厚さ2cmほどの土の板を5枚張り合わせて作る。箱型の「にしん鉢」は写真(右上)のような形で、10cmほどの深さがあり、飴釉をかけた極めて素朴なやきものである。どっしりと重く、投げ入れの花器として使うのも面白い。

1958年(昭和33年)にブリュッセルの万国博覧会で、民芸陶器として「にしん鉢」がグランプリを受賞、世界的に知られることとなる。以来、「伝統工芸の会津本郷焼」が再び注目を浴びることとなり、町は活気を取り戻し、今日に至っている。

●電車で JR只見線「会津本郷」駅下車、徒歩10分
●お車で 「東北道〜磐越道」会津若松ICから約7km
お問合わせ ⇒ 会津本郷町観光協会(0242-56-4882)、会津若松市観光課(0242-39-1251)

近代会津のやきものは、東北で最も古い歴史を誇っている。蒲生氏郷が1593(文禄2)年、播磨の職人を呼び寄せ城郭の屋根瓦を焼かせたことに始まる。会津松平藩祖に招かれ会津本郷に移住した瀬戸の陶工も藩用窯で日用雑器と藩主御用の茶陶器を江戸末期まで作り続けていた。会津藩は本郷を藩用の本窯としながら、領内に数ヶ所にわたり藩用窯を設け、育成に努めたという。

やきものの街、会津本郷を散策するのも、また楽しい。陶器たちは、高温でしっかり焼き越前焼締められ、いかにもどっしりしていて丈夫で重たそうに見えるが、手に取ると思いのほか軽い。高級品を専門にする窯元、ふだん使いに飽きのこない呉須の素朴な絵柄を得意とする窯元などなど。草春窯の白磁や青磁、小松窯の赤絵の小鉢や小皿といったように、陶器あり、磁器ありで、それぞれ新しい工夫をこらした、生き生きとした手仕事の楽しさが伝わってくる。
駅に近い「陶磁器会館」に行けば本郷の17窯元の作品の全てをみることができるが、白鳳山へ上がる道の途中にある「会津本郷焼資料館」まで足を伸ばしたい。ここでは江戸時代から現代までの陶磁器100点余りが展示されている。機津本郷焼の歴史を辿るなら、そのすぐ先の「清郷美術館(写真)」がおすすめ。この美術館は、蔵屋敷を持つ明治初期の民家住宅の様式を残しつつ改修保存された建物で、古今の会津本郷の美術品、古本郷焼、染付け作家の絵画作品を展示している。
車での旅なら近隣の古い城下町・会津若松や古い土蔵が立ち並ぶ喜多方への観光がカバーできる。約400年前に会津を治めた名将・蒲生氏郷は、文化人で、この地に自由経済の街づくりを推進し、近江をはじめ各地から優れた漆器職人や杜氏を呼び寄せ、漆器産業や酒造りの振興を図るなど、会津の伝統産業の基盤を築き上げた。お陰で、この交通の便があまりよくない会津地方には、昔ながらの手仕事がいくつも残っている。会津塗り、絵ローソク、竹籠(たけかご)、会津の桐を使った箪笥や桐箱など数え切れない。
300余年続いた江戸時代の流れを変えた戊辰戦争は、NHK大河ドラマ「新撰組」にも登場したが、この会津若松の名城「鶴ヶ城」で武士時代の終焉を迎える。日本の近代化の分岐点となったこの戦いにまつわる史跡が、会津若松を中心に、会津藩九代・松平容保の墓所をはじめ、いまも各所に数多く残っている。

やきものクラブ・楽陶